🄫2019 つれづれ推進委員会

君の証明

  • 君の証明
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  • ナユタ
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作詞・作曲:本多白紙

​編曲:ailuroad

私は君を愛せているの
私は君に愛されてるの
おはよう、おやすみ
行き交う言葉のその奥に
君は何をみているの

昨日のご飯は何を食べたの
明日の天気は何色だろう
途切れる会話に感じた想いは
言葉よりずっと確かなもの

伝えない理由を君のせいにして
交わる理屈を世間のせいにした
離れないように、重なるように
君といたいから

話してよ、君の涙
世界が否定しても
受け入れているから

笑ってよ、君の笑顔
無くさないようにずっと、ずっと
見守るから

一に出会って、二で泣いて
三、四は笑って、五でバイバイ

なんでもないような日々を
一つ一つ、紡いでいく

わかったよ、こんな日々が
当たり前じゃないから
輝いていること

存在が見えなくても
君の声が聞こえる

話してよ、君の涙
世界が否定しても
受け入れているから

笑ってよ、君の笑顔
無くさないようにずっと、ずっと
見守るから

​そばにいるよ

私は君を愛しているよ

セリスィの記念碑

本多白紙

悪魔の証明という言葉があるように
存在が認識できないものや起こっていない出来事を証明することは非常に難しいことだと言われています。

実際、自分がやったことを証明するより、やっていないことを証明することの方が証拠がなくて難しいというのはなんとなく理解できるんじゃないかと思います。

じゃあ、他者の気持ちを証明することはどうでしょうか?

例えば「私の恋人は私を愛している」を証明することができるのかということです。

「愛している」という言葉が何よりの証拠になるという人もいるかもしれませんし、彼氏彼女の態度を見ていればその問いは愚問だという人もいるかもしれません。

 

確かに、その言葉が本心から発せられた言葉かどうかは本人以外わからないし、仕草や会話の間などの方がよっぽど気持ちが素直に現れているように見える場合もあります。

 

けれど言葉を中心にコミュニケーションを取っている以上、本人から発せられる言葉以上に有益な意思確認はないため、結局はその不確かな言の葉を信じて、何度も錯誤を繰り返しながらお互いの気持ちを証明していくのではないかと自分は思います。

 

つまり、他者の気持ちを証明するということは相手との関係性を築くことであり、その第一歩は自分の素直な気持ちの吐露から始まるのだと思います。

「私は君を愛しているよ」

この言葉が貴方の証明になることを信じて。
客のいない昼下がりのラーメン屋の窓から愛を込めて。