
アリス川
銀河スープ

作詞・作曲:銀河スープ
君の住むアパートに
今は知らない誰かが
暮らすとは僕ら知らず
二人は日々過ごしていた
車折神社には踏み切りの音が響く
懐かしく響く声
いつもそこを歩いていた
川沿いの道君の家まで
見なれた路地抜けて行くと
季節が戻るよ
アリス川あの青いアジサイが
咲いているふたりで見た月は
今もずっとぼくらを見つめている
季節はめぐり繰り返すだろう
ぼくらと似たふたり歩く
旅立ちの後も
アリス川あの青いアジサイが
咲いているふたりで見た月は
今もずっとぼくらを見つめている
時は過ぎ離れてもこの街に流れ込む
淡い色の香り残しずっと
包み込んでいるよ
アリス川
銀河スープ
この「アリス川」という曲は、僕が大学生の頃、京都の嵯峨、嵐山のあたりの美術の大学に20年近く前、 通っていた頃の恋愛の曲で当時を振り返り書きました。
その当時、僕には交際をしていた人がいました。
今も変わらない京都の町並みと穏やかな自然風景と共に、当時ゆったりとした時間の中、二人はその町で過ごしていました。
ですが卒業と共に、青々しい恋愛は、まるで二人の色づいた絵の具が溶け滲んで消えるように、 恋愛は終わりました。
簡素に綴れば自分自身の物語はここまでなのですが、僕に当時、軽音サークルに所属しており卒業後、 そのサークル内で出会った音楽仲間の女の子が、病気で20歳くらいで亡くなったという事を知り合いから聞かされました。
その子はどちらかといえば少し気弱で優しくその反面、命を燃やすような激しいロックが好きでした。
彼女はギターを弾いていました。
そしてその子は僕とバンドを一時期組んでいた彼のことがとても大好きで、僕は二人の仲睦まじいことも知っていました。
彼女が亡くなった事を知ったとき、きっと卒業してからも、ギターを鳴らしバンドをやったり、何よりもその彼と、 学生の頃のようにいつまでも一緒に居たかっただろうと、はっきり浮かびました。
重なりますが、つい数年前、まるで自分の兄のような存在であった先輩が亡くなってしまいました。
その先輩とは10代からの付き合いで、やはり同じようにその大学のある京都の町で過ごしました。
今もふと思います。
なぜ彼らはいないのだろうという虚無感と、 なぜそんなにも早く旅立ってしまわなければ、ならなかったのだろうと。
それと同時にまるでそれらを癒やすように、彼らとのあの時の「縁」を今も感じることで、 今、自分自身が生きている事を強く感じる気持ちになります。
春を迎えるごとに京都の桂川のほとりには今でも毎年、桜が咲き、薄桃色の軽やかな葉が吹き乱れます。
今、思えばまるで僕らという学生達に、そんな物語を与えてくれるように、あの町が招き会わせてくれたような気がします。
今でもあの町には沢山の人の儚い思い出や時が閉じ込められているのだと感じています。