未知との遭遇
言い訳ばかりが増えすぎて
見えなくなり始めていた面影が
伏せ目がちな僕を睨んでる気がした
例えば今日、世界が終わっても
どんな後悔もしないと言えるか
逃げ出しても、諦めても
また何度でもやり直せるから
ほら、負けても負けても立ちあがり
そうさ、泣いても泣いても前だけ向いて
最後の最後に笑えるように
誰にも譲れない、未知を進んでいくのさ
ないものねだりが増えすぎて
色褪せて消えそうな面影が
「大丈夫」と僕を見守ってくれていた
何が必要で、何が足りないか
何が本当の僕なのか
他に誰も教えてくれはしないから
何度も信じて信じて気がついて
何度も不安な不安な夜を過ごした
最後の最後に待っているはずさ
誰にも進めない、未知がそこにある
辛くても、声が枯れても、僕らには夢がある
大丈夫、大正解、明日は晴れるから
怖くても迷わずに
この足で進むのさ
何回負けても負けても立ち上がれ
僕らの時代は僕らが作るのさ
誰もが生まれた意味を知る時
僕らは出会えるさ
そうさ、僕らの世界は僕らが変えるんだ
それこそ未知との遭遇
連綿と交差
ailurad
作詞者である玄徒さんはこう言いました。
「毎日の行動の積み重ねによって人は変化し続ける。
故に未来の自分は未知の存在である。
いつか訪れる『縁』のために、未知の自分と出会う歌なのだ」と。
また作曲者である吉岡さんは「予定調和的なアプローチと、
転調を匂わせる不安定なアプローチによって『縁』というドラマチックな言葉を
演出したい」と言いました。
では編曲者である私の役割は? もちろん、この両者を”繋ぐ”ことです。
私たちはもともと、「ナユタ」という名前でバンド活動をしていました。
大学の同期で同じゼミに所属していた本多さんに誘われ、
バンド活動を始めました。七年ほど前の話です。
その後しばらくして、吉岡さんも加入しました。
本多さんは歌とベースを、吉岡さんはギターを、私はドラムを担当していました。
私はドラマーとして、曲が綺麗に流れる為の接着剤、
つまり”繋ぎ”の様な役割を担っていたと思います。
私たちにとって創作活動で大事なことは、作品を創ることと、
それを鑑賞してもらうことです。
バンド活動においては、主にライブハウスが鑑賞してもらう場でした。
ライブハウスが、私たちとリスナーを繋ぐ場でした。
しかし後に創作活動について論議していく中で、
私たちとリスナーを繋ぐもっと良い形を模索していくことになります。
(この辺の話は『ソウシコウ−存在について−』でも語りましたが)
その結果バンドとしての側面は鳴りを潜めましたが、それぞれがそれぞれの
個性を活かしながらかかわり合い、新しいものを作り続ける意欲は
むしろ満ち満ちていきました。
しがないドラマーでしかなかった私は、作曲や編曲をするようになりました。
私自身、作編曲に興味があったことに加えて、
新しいナユタにとって必要な能力でした。
コード進行なんてものもろくに知らなかった過去の私からすれば、
今の私は”未知の存在”です。
本多さんとの『縁』から始まった音楽活動は、バンドとしての不安定な
時期もありました。
しかし皆がそれぞれ変化し続けることで、調和を手に入れました。
形を変えながらも音楽活動を続けている中で、吉岡さんが骨子を作り、
本多さんが意味を与えたこの曲を、私は今再び”繋いで”います。
『縁』がドラマだと言うなら、それはその通りです。
なぜなら、登場人物が一人しかいないのでは、ドラマたり得ないからです。