春、ふれる
陽だまりの中の幸せを
壊さないように愛と呼んで
穏やかな午後の光に
目が覚める
少しだけ繋ぐ君の手と
触れた唇に今だけは
「僕が全てだったならいいな」
この気持ちをひた隠すように
繋いだ手を握りました
愛を呼ぶ声がしたんだ
春の中に
緑道の木漏れ日に
桜の花が舞い落ちる
ささやかな幸せを
分かち合う
ベランダで揺れるアカシアと
あなたにとっての幸せが
「僕の全てだったならいいな」
「その言葉は似合わないよ」と
「その時まで待っている」って
愛を呼ぶ声がしたんだ
春の中
未完成なこの僕の絵に
名前を与えてくれた
無愛想なこの部屋はもう
4月を迎える
愛し合ったどんな日々も
愛していたいどんな君も
春の日差しの中で笑っていたい
愛すべき恋の哲学者へ
玄徒ハクビ
人は何故恋に落ちるのだろうか。
この問いに対して正しい答えを導き出せる人は1人もいないと思う。
他人の恋愛論理は飛行機の窓から見下ろした知らない街の夜景みたいにピンとこないかもしれないが、今回はそういう曲なので惜しげもなく語らせてもらうとする。
「○○のパクリじゃないですか」などご意見があるときはTwitterにて「#ナユタのこと」で投書していただければ吉岡が拾ってくれると思う。
この曲は自分が本気で恋をした時に書いた曲だ。ご覧の通り歌詞が稚拙で幼い。
世の中には色々な学問があるが、恐らく恋愛学が一番苦手だ。学校の先生が教えてくれなかったから、巷に転がる恋愛本なるものに共感できなかったから、恋愛セミナー講師の発言が上っ面だけだなと感じて笑いが止まらなかったからなどと御託を並べれば、周りからは負け組と揶揄され、何に負けているのかわからないまま恋愛からの距離を遠ざている過去の自分がそのまま写し出されていて非常に気恥ずかしいが当時のままを歌うことに努めた。
それには2つの想いがある。
1つはかつての自分の気持ちを生かしたかったから。
当時、自分は他人を介して何かを試すことにとても抵抗があり、臆病者であった。
馴染んでいない言葉や行動をして相手を傷つけてしまったらどうしようとか、そもそも他人を練習台にしてもいいものなのかとか割と真剣に考えていた。
けれど実践しなければ何も始まらないし、得られないから何も変わらない、みたいな日々を送っていた。
そんなことさえ気にしなければ、街中で算数ドリルのように実践経験を積んでいくチャラ男達のように恋愛マスターになれるのにとか本気で思っていた。
さらに裏返して考えれば自分が(練習台に)されたら嫌だなと思う気持ちが混じっているのもわかっていて必ずしも100%相手のことを考えての行動ではないことが、自己嫌悪に陥るポイントでもある。
この苦悩をどう乗り越えたかは後日、「ナユタのラジオ」の時にでも語るとして、もし当時の自分と同じ気持ちで悩んでる人がこれを読んでいるのであれば貴方は優しい人だと伝えたい。
典型的な拗らせ君だなと感じ、そもそも恋愛は学問なんかじゃないと思う人は大いに笑って欲しい。自分も今だから当時の自分を笑われてもネタで返せるくらいの気量はできた。
もうひとつはこの曲が恋に落ちるということに関して自分の答えだから。
昔、「君のためなら死ねる」というゲームがあった。中身はバカゲーとも呼ばれるほど茶目っ気にとんだものだが、タイトルの由来は二葉亭四迷の「死んでも可いわ」から来ているらしい。この言葉は「I love you」が日本に浸透する前に四迷がロシアの小説を翻訳する言葉に使ったものだと言われている。(実際はI love youの訳語ではないらしいが近しい言葉がなかったよう)
当時の自分は意味もわからずクーラーの効かない自室で、ただゲームの鬼畜さに悶絶していた。
感情を素直に出すのは誰だって照れ臭いものだ。歳を重ねて言葉のテクニックを覚えれば覚えるほど隠すのが上手くなって、吐露する方法を忘れてしまう。
振られたら恥ずかしいと「好き」も「愛して」も伝えることを避けていてはその想いはほぼ伝わることはない。
その恥ずかしさを超えてまでも伝えたい想いがある人に出会い、想いを伝える覚悟が生まれた時、人は恋に落ちるのではないかと考える。
同時に周りの目やプライドが落ちることで見えなくなり素直な自分に向き合える時でもある。
つまりこの曲は「君のためなら死ねる」と歌っているということだ。(「月が綺麗ですね」でも良い)
自分は全ての人が恋の哲学者だと思っている。生まれてから死ぬまで自分にとって恋とは何なのかということを問い続けて、その時々に最適解を見つけながら行動している(その行動が倫理的にどうかということは今は問題にしない)。
恋愛の話題になると必ず何かしらの自論を皆持っているのはそれゆえである。
逆に、政治について話した時に自論を持たない人がいるのはその問題を自分に向けて問いてないからともいえる。
恋愛マスターからしてみれば自分の論理など端にも棒にも掛からないのかもしれない。
けれど一番不勉強な恋愛に関して今の自分なりの最適解を素直に書き記すことができたことに大きな意義を感じている。
まだまだ話は尽きそうにないが、続きはもっといいラブソングを作れてから話すこととする。