🄫2019 つれづれ推進委員会

純粋フィルム

吉岡大地

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つながることについて

吉岡大地

 人から悩みを相談されるときはいつも人間関係のことで、その度に、誰かと生きていくのは難しいことなのだなあと思います。
 と言っている僕は、一人でいるのが好きな人間です。しかし、それと同じくらい誰かといることも好きだったりします。
 一人でいるときは、ひたすら創作をしています。自分の好みにぴったりとハマるものを作って、一人で楽しんで、一人で感動して、そんな、おめでたいことを繰り返しています。
 誰かといるときは聞き役になることが多いです。僕では決して味わえないその人だけの人生があって、そこに垣間見える世界観や価値観を見つけることがとても刺激的で、楽しかったりします。
 ただ、どちらかを選ばくてはならないとき、僕は一人の時間を選んできました。創作をすることが自分の価値だという意識が強く、それが欠けてしまわないようにと、常になにかを作っていたいのかもしれません。


 さて、今回のテーマは「縁」ということで、たくさんの意味をもつこのテーマをどう表現すればいいのか悩みましたが、何度も書き直した末、自分なりの答えをようやく本作に込めることができました。
 お互いを尊重しているようで、実は自分だけを守っていたり。お互いを分かっているようで、実は自分の考えを押し付けていたり。そんな未熟さと、それを乗り越える主人公たちの成長を、本作を通して感じていただけたら幸いです。
 そして今回、〝超芸術トマソン(純粋階段)〟や〝フィルムカメラ〟という、自分にはあまり馴染みのないものを作品に取り入れました。
 つながりもなくただそこに存在する「純粋」。焼き付けたそばから過去になっていく「フィルム」。
 人生はフィルムのように蓄積されていきますが、そのフィルムに焼き付けられるものは自分というレンズを通したものでしかありません。誰かと一緒にいたとしても、ただお互いに、同じような景色や思い出を自分のフィルムに焼き付けているだけ。それで僕たちは分かりあったり、分かりあえなかったり、そんな勘違いや妄想を繰り返しているのではないでしょうか。
 けれど、それが『つながる』ということなのかもしれません。


 僕は、人は「純粋」な存在だと考えています。だからこそ、分かってほしい、分かってあげたいと思ったときに、叶わなくて苦しむのだと思います。
 ただ、お互いが〝純粋フィルム〟を持っていることを知って、理解して、尊重することができれば、もっともっと近いところで『つながる』ことができるのではと、本作を執筆してみて思いました。


 最後に、本作『純粋フィルム』を読んでいただき本当にありがとうございました。この作品が、あなたのフィルムの一コマになることを願って、このあとがきを締めさせていただきます。