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創作者と創造

〜Meine Meinung編〜

​#4 「評価」とは何か?

加藤 これ!?

 

つれづれ 難しいですよね……(笑)。

 

 ホントに難しいですよね。自分はこれイマイチだったかなとか思って出したら、凄い良かったよって言われたりとか。自分でヨシ!って思ってもあんまり反応無かったりとか(笑)。食い違いがあるのはなんでなのかなって。

 

加藤 『「評価」とは何か』……主観じゃないですかね。客観的に評価すると言ってる人ですら、客観的になんか無理なんじゃないかって思います。

 

 結局、自分が生きてきた経験が積み重なって言ってくるから、みんな違うのかな。

 

つれづれ では評論家と言われている人たちがいますが、あの方々が言っていることも主観になるということでしょうか?

 

加藤 あれは自分の言いたい事を言ってるだけですよ。自分の言いたい事を言ってるだけな

ので本来は価値が無いんですけど、それが"面白い"っていう需要を生んだ人たちが評

論家としてやっていけてるんじゃないかなと。

 

 エンターテイナーですね(笑)。

 

加藤 あの人達はエンターテイナーですよ。

 

 でも確かに、説得力があるとか引き込まれる何かがあると「あ、そうかも」って。

 

加藤 逆に全く説得力の無い、訳の分からない事を言ってそれが面白いってなってる人もいるかもしれないし。だから評論家って別に正しい事を言わなくていいんですよ。

 

一同 (笑)。

 

加藤 と、僕は思ってるんですけどね(笑)。

 

つれづれ "専門家"ではなくてあくまで"評論家"ですからね(笑)。

 

 確かに●●評論家っていっぱいいますよね(笑)。こんな評論家いるんだ、とか。

 

加藤 (ラーメン)二郎の評論家はどうですか?

 

須崎 あ〜……。そういう意味で言えば僕は結構、一般の人とちょっと違う視点で見てる部分はあると思います。二郎って店によって味が違ったりするんですけど、人気店と並びが少ない店っていうのは差がある時があるんですよ。僕が好きな店っていうのは意外と並びが少なかったりして、でも僕はそうでもないと思ってる店にはめちゃくちゃ並んでたりとかしてるんですよ。意見が違う、味が違う……そこにプラスして僕が思うのは、刷り込みみたいなのもある気がするんですよ。自分でちゃんと考えないで、ただ人気っぽいからっていう。

 

加藤 主観無き主観だよね。評価って主観なんですけど、本当にみんなが主観で観てくれてばまだ正しいんですよ。でも結局色んな要素に惑わされちゃったり。情報操作も出来るし。Amazonの評価とかって面白いなと思うのは、例えば「商品は良いと思ったけど自分が注文を間違えたので評価1です」とか「思っていた商品と違ったので評価1」とか、おめーのせいだろそれ!みたいな(笑)。

 

一同 (笑)。

 

 そういうのあるよね(笑)。

 

加藤 だから評価ってホント適当だなと思いますよね。自分の主観を言ってるだけなんですよね。

 

須崎 でもそういうのを参考にするには、切り分ける力も必要だよね。

 

加藤 そう。だから評価って結局、評価を見る側がちゃんと切り分けないと全然まともに機能しないんですよね。昔、とあるゲーム雑誌がありまして。僕はそれが大好きで必ず買って読んでいた訳ですよ。その頃はファイナルファンタジー、ドラゴンクエストの頃で、最初にドラゴンクエストのすぎやまこういちさんは凄い!素晴らしい!全部評価10。三和音でこんなに凄いオーケストラをって音楽も評価10

。その後にファイナルファンタジーが出たら、こんな音楽は聴いた事が無いって評価1だったんですよ。

 

 へ~。

 

須崎 それが手のひら返しでね。

 

加藤 そう。それが世界で大ヒットして植松伸夫さんが神になったら、手のひらを返したようにファイナルファンタジーは世界の音楽!って(笑)。これが評価ですよ。凄く曖昧だと思うなっていう。

 

須崎 自分で言うのもなんだけど、僕はあまり踊らされないように意識はしてます。

 

つれづれ それは何か、踊らされないようにする物差し的なものがあるんですか?

 

須崎 うちの親はあまり冒険したがらない人というか。これはこういうものだからって決めつけてるような所があって。昔の人に良くありがちなんですけど、それが凄く嫌で。全然関係ないんですけど、最近気付いた話で、ピーマンの種を食べるかどうかっていう……。

 

つれづれ ……ピーマン?

 

須崎 えぇ……。最近、実家からピーマンが送られてきまして。うちのお母さんはピーマンの種を丁寧に取って、実の部分だけを使って料理していて、僕も再三それを見てきたので、捨てるもんなんだなって思ってたんですけど、実は種の部分にこそめちゃめちゃ栄養があって。ある時、これ食べられるんじゃないかなってふと思って、ネットで調べたらわかったという。そういう、ふと思う、ふと立ち止まって考えることが出来るかどうかっていう。

 

つれづれ なるほど……。確かに自分の当たり前を疑うことは新しい気付きのきっかけになりますよね。

 

加藤 我々みたいな立場の人間が考えるのが難しい部分って、評価に惑わされないようにするにはって消費者の視点じゃないですか。それはまだ良いんですが、どうやったら評価されるように出来るかっていう所も考えないといけないじゃないですか。

 

つれづれ それ、すごいわかります…!以前、自分達の楽曲を好きになってくれた人にどうやったらもっと多くの人に気に入ってもらえるかを聞いてみたことがあるのですが、皆さんそんなこと意識したことなかったって反応でして、これは創る側の特有の視点なんだなってその時思いました……。

 

加藤 評価されるにはやっぱりみんなにウケそうな事とか、どういう風に媚びるかみたいな部分もあるし。商品は良いモノ作ってんだから、あとの事は適当でも良いっていう職人肌の人もいるかもしれないけど、そこに「今日は聴いてくれてありがとうございます」って手紙を一つ添えるだけで、本来評価が3だったものが5になって返って来るとか、そういう部分をどうしていったら良いのかとか。評価っていうのは、我々はされる側という立場なので怖いものであるし、情報操作はされ易いし、みんなの主観だから当然悪い評価も来るし、悪い評価が来た時に踊らされてもいけないし。だけれども全く受け入れないという訳もいかない。そういう意味でも、評価っていうものを考えるっていうのは物凄く面白い事だし大事な事だと思うし、常々悩みますよね。

つれづれ 重要な要素を、どれだけ評価から抜き出せるかっていう所ですよね。良いも悪いも。

 

加藤 そうですね。結局みんな、評価する時の基準みたいなものがバラバラだったりするので。特に音楽ってなってくると勝ち負けが無いじゃないですか。なので例えば、多くの人に評価されるモノを目指していくのか、それとも少ないけれども物凄くコアに高評価をしてくれる人たちの信頼を得るような方向で動くのかだけでも違ってくるし。むしろ悪い評価が沢山ある方が良かったりする事もあるじゃないですか。ビジネスの世界では何のアクションも無いのが一番良くなくて、それだったら炎上商法とかあるくらいなんで、悪い評価をいっぱい貰って注目されて、逆にそれに反発する人たちが凄く強いファンになってくれたりするとか。そういう意味でも、評価っていうのに常に踊らされて生きてるというか。結局僕は常に人目を気にして、人からの評価にずーっと囚われながらInstagramやってる訳ですよ(笑)。

 

一同 (笑)。

 

つれづれ 仰られていた主観の相対っていうのはその通りだなと思いました。結局一人一人が主観でつぶやいたものが、最終的になんとなくの評価一般みたいなものになるっていうのは主観の積み重ねだからというのは、凄く面白い視点でした。必ずしも誰かが作った物差しではなくて、主観の積み重ねっていうのは分かる気がします。凄く良い意見をありがとうございました。

もう一つは……『クリエイターの将来像について』というテーマもよろしいでしょうか。

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